1年間だけ「ヤングケアラー」だった話
皆さんは小学生時代、日常的に、家族の糞尿の処理を、素手で行ったことがありますか?
私は小学校4~5年生の間の約1年間、そんな介護を週5日はしていたのです。今でいう「ヤングケアラー」でした。
私がケアをしていたのは同居していた祖父。
祖父はかつて戦争にも動員された経験がある世代で、足腰は丈夫でした。
しかし亡くなる前の1年間は難聴と認知症が進み、日常生活行動に介助が必要な状況でした。
その頃、私の両親は個人塾を経営しており、夕方~夜は、私と祖父が二人で留守番している時間でした。
また、当時は介護保険制度開始(2000年)前後であり、まだ地域の介護サービス事業者は少なかったのではないかと思います。
祖父は昼間、私の両親といるときは気が張っていたのか、粗相をすることは少なかったそうです。
ところが、孫である私といるときは気が緩んだのでしょう。
リハビリパンツを履いていた祖父は、トイレに間に合わず、しかもトイレ手前で漏らしてしまうことが頻繁にありました。
時には、尿と共に便も垂れ流されました。
粗相があると私は、リハビリパンツ、ももひき、ズボンの替えを用意し、汚れた衣類を脱がせ、タオルで身体を拭いたり、風呂場に連れて行ってシャワーで洗い流したりしてから、着替えさせます。
そして祖父を部屋に戻してから、糞尿にまみれた床を綺麗にするのです。
このとき、私は全て素手で行っていました。当時、我が家に介護用のプラスチックゴム手袋などなく、掃除などに使う大人用のゴム手袋も、私の手には大きすぎたのです。
汚れた衣類は、水洗いしてから洗濯かごに入れていたからなのか、私自身もあまり「じいちゃんが粗相したよ」と言わなかったのか、記憶が定かではありませんが、両親とも、自分たちが不在のときの祖父がそんな状態であることに気づかなったようです。
あるいは、気づいていても、どうしようもなかったのでしょうか。
私自身は「自分をたくさん可愛がってくれた祖父への恩返し」のつもり介護を頑張っていました。
しかし、小学生の身でこんなことが日常茶飯事だと、イライラすることも増えていました。
ときに祖父に怒鳴ってしまったり、ときに乱暴な介助の仕方になってしまっていたのを、罪悪感と共に記憶に刻まれています。
祖父とともに夕食を食べ、宿題の合間にトイレ介助し、粗相を片付け、着替えさせる。
風呂を洗ったら、祖父が浴室で滑らないか気を張りながら二人で入浴し(あるいは祖父だけ入浴させ)、身体を拭いてあげて、服を着せる。
祖父が布団に入って、やっと、自分がのんびりできる時間でした。
こども家庭庁の定義によると、「ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものこと」とあります。
今振り返っても、私は、本来大人が担うべきことをよくやっていたと思います。
私は「ヤングケアラー」、「宗教2世」、「子どもの貧困」の課題には、いくつかの共通点があると感じています。
それは、家庭内で本来子どもを守るべき立場にある大人が、
①自己の価値観に固執し、外部からの声を聞かないこと
②そもそも外部に、家庭の状況を知らせようとしないこと
③当然、適切な社会資源を活用しようとしないこと
といった、3つの問題行動を選択しやすい傾向にあるという点です。
また、先日の記事でも述べましたが、幼い子どもほど、「親の価値観」や「自分の生活」を疑うことができません。
親に逆らうと生きていけないと思っていますし、「親の価値観」や「自分の生活」を疑えるほどの情報、視野、経験値を持ち合わせていないからです。
高齢化や医療の高度化などによって、家族にケアが必要な人が増える社会に向かっています。
私は、「ケアが必要な人」がどんな状況に在ってもしっかり「福祉」にアクセスできる社会環境を整えていく必要があると考えています。
それは窓口という意味だけではなく、既にある各種制度の立て付けを見直し、「必要な人が、必要なときに利用できる制度」に適時改善していく意識が、政治家や行政に求められていると思うのです。
その上で「福祉からはみでてしまう」ことを防ぐ、窓口や人員を整備していく必要があるでしょう。
大人も子どもも相談しやすい窓口、利用可能な制度の周知、支援者の配置が重要だと思います。