「宗教2世」に通じる類似体験 ~我が家は菜食主義だった~


私の実家は菜食主義の家庭でした。私が小学校に入学する直前の時期に、父が書籍の影響を受けたことがきっかけです。
菜食主義というと、かつては宗教上の理由と思われることが多かったのですが、近年は「ヴィ―ガン」などの言葉も周知され、「動物愛護」という理由で納得されることも増えた印象があります。
実際、父の理由は「動物愛護」と「がん予防」だったそうです。

しかし、これが私の成長期に大きな影響を及ぼすことになりました。

私は小学生時代、「肉、魚、卵、牛乳を食べてはいけない」と教え込まれ、それを忠実に守っていました。想像してみてください。学校の給食から動物性食品を除いて残る食事量を。私は小学校6年間、ほとんどの動物性食品を、友人らにお願いして自分が食べられる主食や野菜類に交換してもらって過ごしていました。

割と頻繁に、ほとんど食べるものがない日がありました。
それでも幼いころの私は、それが「正しいこと」だと信じて疑わなかったのです。

当時、私は学校から帰宅後、母に「今日は白飯をいっぱい食べた」「食パンをいっぱい食べた」というようなことは伝えていた気がします。しかし、「ほとんど食べられるものがなかった」とは伝えられていなかったのです。私の言葉の裏には「友達は美味しそうに色々な物を食べているんだよ」と言いたかったのではないかと思います。

教員も「家庭の教育方針なら仕方ない」と思っていたり、そもそも菜食主義家庭であることを知らないまま担任をしていた先生もいたようです。

こうして私は、充分な栄養カロリーを摂取出来ないまま成長してしまいました。今の私が体格の大きさに反して風邪をひきやすいのは、当時の栄養不足が影響していると感じています。

私は政治家になってからやっと、当時の自分の置かれていた境遇や「どうして欲しかったか」を言語化できるようになりました。
「子どもに対して、親の価値観を押し付けるのならば、なぜそれによって生じる弊害を想定して、対策を取ることをしなかったのか」と。

菜食が健康に良い事は一切否定しません。
しかし、成長期において充分な栄養を摂取させることは、その後の長い人生の健康を担保するための、親としての重要な責務だと思うのです。

学校において菜食主義という「普通とは異なる価値観」を貫かせるならば、給食で食べられる量が半減することをなぜ想定できなかったのか?
給食とは別に弁当を持たせるなど、なぜ対策を取れなかったのか?

怒りを伴って言語化出来たのが、ほんの数年前の話でした。
大人になってからでさえ、自分の経験の違和感を適切に言語化するのが難しかったのです。

両親は私の過去に衝撃を受け、謝罪をしてきました。
「親」だって完璧な人間ではありません。そうだとしても、この件については、あまりに我が両親の思考は未熟で浅はかだったと私は思います。

幼い子どもほど、「親の価値観」や「自分の生活」を疑うことができません。
親に逆らうと生きていけないですし、「親の価値観」や「自分の生活」を疑えるほどの情報や視野を持ち合わせていないからです。

だからこそ、親自身が「子どもは別人格」であることを尊重し、子どもが未熟なうちは「極端な価値観」を押し付けてはいけないと思うのです。

ですから、私自身は夫となり父となってから、家族に菜食を押し付けることはしていません。野菜を多めに摂るようには促しますが、一般的な食生活をしています。

私は、子どもに関わる全ての職種の大人に、その子の「保護者の価値観」を知り「保護者の価値観に伴う弊害」にさらされていないかを、しっかり観察し、介入する覚悟を持ってほしいと思うのです。

「親」が自らの過ちに気づかず、学校の先生も私の食生活の実情を両親に指摘してくれなかったことに、悔しさを感じます。

これは私個人の一経験談ですが、私は政治家として、家庭と学校が想像以上に閉鎖された空間であることに強く留意し、「子どもの権利」が確実に守られる政策を実施していく必要があると思うのです。

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